自分を自分だと確認できる構成パーツは意外と多いが、認識できるものは意外と少ない。

表現を変えると、そもそも他者を媒介してのみ確認できるパーツは他者の介在のみでしか確認できず、真実ではない。意外と自分が思っているようなものでない場合も多い。

脳の模倣がPCの織り成す世界だとすれば、メモリーという概念を作った段階で物理的な存在としての人間と、独り歩きするであろう人間の意識との存在、2つの乖離が大きくなってくることを真面目に考えるべきだった。

クラウドで存在する自分
ブロックチェーン上を徘徊する無垢な自分

すでに意識はクラウド上に存在する自分はコミュニティをつくって、物理的な体を持たないものの、社会的認知度も十分高く、ほんとの社会で生きる自分としては無視できないものになってきてしまった。場合によてはクラウド上に存在する意識のほうが社会的に信頼性が高い場合もある。

アイデンティティが崩壊して、意識が乖離し始めて、実社会での自分の存在を脅かしているかもって思いだしたら不味いかもね。

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