【001】コミュニケーションとは(4)

少しだけ専門的に言うと、コミュニケーションには「発信体」「受信体」「信号/記号(シグナル)」「伝達媒体(チャネル)」という4つの存在が必要である。

 

発信体からシグナルとなった『メッセージ』が発せられると、チャネルを通じて受信体に伝達され、受信体はそれに対して(発信体がしたのと同様に)メッセージとしてのシグナルを発信体にチャネルを通じて伝達する。

尚、一般的に受信体から発信体にメッセージを返すことを返報と言い、その際のメッセージを反応(リアクション)という。

communication_structure

 

ここまであって1つのコミュニケーションのサイクルが成立する。

つまり、コミュニケーションの成立は「発信体のメッセージに対して、受信体からのリアクションが返報され、それを発信体が受け取ることができた」ということによる。

 

受信体からのリアクションが、発信体の期待したものかどうか、はコミュニケーションの成立には関係がない。

脈絡のないリアクションなのではなく、発信体のメッセージに即した内容であるか否かが問題なのである。

【001】コミュニケーションとは(3)

では、コミュニケーションとはどういうことなのか?

 

結論から言えば、communicationとは「通信」である。

 

かつて、電機メーカーであるNECが『 Computer&Communication 』(コンピュータと通信の融合)という企業スローガンをテレビCMで大量に流し、それ以降、コミュニケーションというキーワードは日本のお茶の間でも有名になった外来語であると言える。これを1977年の時点で理念として語った当時のNEC小林宏治会長は先見の明があったと言えよう。

閑話休題。

 

通信の語源は「信(よしみ)を通わせる」ということであり、通い合って信頼を深めることに他ならない。

この「通い合う」という部分にポイントがある。即ち、“双方向”であるということ。

 

これが上述の伝達とは違うところ。言い換えれば、相互に伝達することで通信は成立し得ると言える。

無論、単純に何でも伝達すれば良いというものではない。

伝達した内容に即した返信があることが肝心なのである。

【001】コミュニケーションとは(2)

「コミュニケーション」とは何か?

改めて問うと、多くの人から多様な回答が返ってくる。しかし、大きくは以下のようにまとめられると言ってよい。

  • 会話(conversation)
  • 対話(dialogue)
  • 伝達(transmission)

誤解とは、このいずれも「コミュニケーションそのものではない」ということを理解していないためである。もちろん、会話・対話・伝達をしている際にも、コミュニケーションが成立していることは有り得るが、成立していないことも多々あるのである。

 

会話は文字通り「会って話す」ということそのものであり、複数人の中でワーワー言いながら、言葉を交わすことも含まれる。会話ということは、それ以上でも以下でもなく、それ故に話した内容が相手に伝わるかどうかなどは関係ない。会って話すという行為そのものが重要なのである。よくカフェなどにいる女子会らしき集団に見られるように会話はストレス解消の良い方法でもあるが、だからと言ってその時に伝えたことがキチンと伝わったかどうかは「会話」である範疇では確定していない。

 

対話はどうかと言えば、ただ会って話すのではなく「対面して話す」ことにあり、何らかのテーマについて特定の相手に伝えることを念頭に置いていることを考えれば、会話よりは進んだように思えるが、これも自らが明確に伝えようとすることが重要であり、そこから先の部分については「対話」の範疇ではない。

 

では、「伝達」であればどうなのか、と言えば「伝えたことが達する/達するように伝える」ということであり、キチンと伝える、ということが中心となっていることが解る。これは会話にはない概念であり、対話よりも一歩進んだものだと言える。自らの伝えたいことを相手に達するように伝える、ということは少なくとも何らかの情報を相手が受け取る、ということは確実である。但し、伝達のポイントは“一方向”である、ということ。

 

【001】コミュニケーションとは(1)

コミュニケーションとは何か?

よく言われるテーマではあるが、殆どの人が明確に回答してくれることはない。何故か?

それはコミュニケーションということを「誤解しているから」である。

 

【000】で述べたように、言葉の定義をはっきりと行い、それから話すということをしていれば、そんなことは無いのだろうが、実際に言葉の定義をしてから話すということをしている人は極めて少ない。理由としては、日本人の識字率の高さ、教育水準の高さ、そしてその教育内容が同一世代においてほぼ同様のものが行き渡っている、ということにある。

つまり、国内で日本人が日本人同士で話しをする限り、だいたい同じような教育を受けて育ってきた以上、ほぼ同じ水準で話が出来てしまう。それ故に、相手の使う言葉の意味を確認する理由・きっかけがないのである。

特に、日本人は外来語について、その多くを意味・意義や語源に遡って考えるということが少ない。なんとなく、ニュアンスで使ってしまう。それで話が成立すると、そういうものなのだと勝手に理解した気になってしまうのだ。これが「誤解の素」である。そして、そういう誤用が一般に広まって、定着してしまうことも散見される。

日常の場面で話をする際に、言葉の定義や意味を明確にする必要性に迫られることは現実的には少ない。そう思っているのは、上述したように、あくまで現代日本の教育水準が高いおかげであって、また身分制度などの違いがなく、使う言葉に習慣上の違いが存在しない(ことになっている)ことによるものである。

だが、現実には「コミュニケーションが破綻している」ことは往々にしてある。

その第一の原因・理由が、言葉の定義がなされていないことにあると言える。

そのことを理解するには、コミュニケーションという言葉を明確に定義する必要がある。

(繰り返すが、普段の話の中で以下のようなことをいちいち確認する必要はない。しかし、言葉の定義において同じものを用いて話をするのとそうでないのでは、明らかに伝わるものが異なることは、仕事の場面だろうが日常であろうが同じことであることは述べておきたい)

【000】言葉の定義(1)

コンサルティングということを業にしている以上、それなりに「言葉の定義」というものに対してこだわりを持っている。それ故、このブログの最初に挙げるテーマを「言葉の定義」とした。ブログというものが、言葉による表現であるからだ。

いや。というよりも、次に示す『コミュニケーション』ということが成立しないと仕事にならないから、ということが一番であろうか。

無論、言葉という「表現」に於いては、このような“文書”によるものもあれば、顔を突き合わせて“話す”ということもあるだろう。

この時、後者に於いては、その表現は実質的に言葉そのものよりも「(発言の)抑揚」「ニュアンス」「話の流れ」「雰囲気」「訊く相手が発言者をどのように思っているか」などの要素の方が伝わる割合が大きいであろうから、言葉は表現の一部でしかない。それ故、相手への伝わり方は、様々な表現を持つ後者の方が豊かに伝わることは間違いない。しかし、それは「相手の感(受)性」に依存するものであり、自分が伝えたことが思い通りに相手に伝わったかどうかについては知る由もない。

まして、前者は文面に表現された言葉が表現の中心となる。図解やデザインなども相手の理解を促すものにはなるが、伝える中心が言葉であることは間違いない。

そこで重要になるのが「言葉の定義」である。厳密に言えば、その定義は“言葉を交わす者同士”においてなされるものであり、必ずしも世間一般で通用しなければいけないものではない。肝心なのは、言葉を交わす者同士において、同じ言葉を使えば、同じ意味・内容を示している、ということなのである。

文学の愉しみ・味わいが云々、という際には、これは野暮というものであろうが、一般的な言葉のやり取り、特に仕事におけるそれにおいては「同じ言葉を使えば、同じ意味・内容を示している」ということが担保されなければ、それは仕事として成立し得ない。

何を目的に、如何なる条件で、どのようにして進めるか。

そのいずれを決めるにしても、それは言葉を通してしか決められないからである。

感覚的に仕事を進めている、という人でも、実際の仕事においては、仕事の内容を定め、それを伝え、為された成果を評価し、報告するには、全て言葉を使わねばならない。

言うなれば、言葉は「あらゆる仕事の基礎」となるものである。

これを否定する人がいることも知っているが、このブログで私の記事を読む方には、私の物事へのスタンスが、上記の考えによるものである、ということを予めご承知おきいただきたいと考えている。このことに関しては、一切の反論を受け付けるつもりはない。反論するくらいなら、読むのは無駄であるから、私の記事など読まなければ良い。

今後の記事においても、皆様から意見や感想、疑問、反論などを伝えたいと考える場合には、まずはこの「言葉の定義」ということの前提に立ち、その上で建設的な議論ができることを望んでいます。

以上、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。