思考というのは結局ツリー構造に帰結する。

そう思ってきた。結局これも数あるプログラム言語の一番シンプルな条件式if-elseのシンプルな構造に頭が慣れているのかも知れない。でも、それでは結局堂々巡り。else ifに当てはまらなかった条件に関してはループさせるのか、はたまた破棄させるのか。どうせ2択になっくる。

スパイラル構造ってのがあります。

そのループか破棄かを迫られた情報をどのように扱うか。

結局、その条件に当てはまらなかった情報を英雄だとすると、もう一段階層を上げてあげる(あるいは下げてあげる)して、新しい条件下のもと、再度検討し直す。こうすることで、三角錐のような立体ヒエラルキーが生まれる。

でも、これじゃぁねぇ〜。。。

立ち止まって情報を組織化することを止めてみる。

情報をある条件下のもとで比較検討するのではなく、単独で存在する点とみなす。
見方によっては散乱と言った方がいいかもね。ここで、ネットワーク式に(といっても、ここで言うのは、化粧品やら売るバイナリじゃない。あれは搾取の階層)

一対一の組み合わせを情報の回数繋ぎあわせてみる。
そうすると無数(階乗回)のコネクションが生まれる。
水と油みたいな関係もあれば、ねっとり纏わりつく質感もアリ。
纏わりついて、離れなくなって、そこにまた纏わりつく何かがある。
触媒次第では水も油と仲良くするよって。

無数の関連性が生まれてくる。

そんなの関係が面白い。

これが、試行回数だけ上手くいく。(もちろん、初めの辺りはerrorも多いが、そのうちリチャード・コッチの8:2の法則になる気がする。それが無数の関連を取り巻く’良い波動’という言葉で片付けられるのは気に食わないが)で、パターンが見当たる。ヒューマンスキルに関してもこの法則が見当たる。そう、信仰めいた「波動」じゃなくて「パターンの蓄積」やろ!

それで、ここから社会に向けて新しい価値観を出航させる。
社会に向けるとはイコールで対価をお支払い頂く。

このプロセスがないと新しい価値が、価値あるモノだと認識されず、ただの自慰行為。
場合によっては、公然わいせつモノかもしれない。

アーティストという肩書を例に、公言出来る人は実は一握り。

芸術が芸術と言われた時点で、もうおしまい・・・という価値観もあるが。僕にとってはどうでもいい。
※芸術と言われた時点で、それは、あぶく銭で生きる心理的貧乏が欲する産物に変化してしまう。

芸術やら芸能やらアートやらが、もっとちゃんと経済を動かす原動力にならないとねぇ。

日本は、島国ですし、資源も厳しい。
根付いた心理的鎖国状態が続くけど、頻繁に災害に見舞われるこの不合理。

日本の生き残る道は、勤勉さを武器にした「芸」の活動(広義のエンターテイメント)で生き長らえる。
この方が自然な気がする。手先の器用さ、緻密さ、、、だけじゃねぇ〜。

売り方もエンターテイメント化
コンサル業もエンターテイメント化しないと後が無い

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です